全体図
祭壇(復元図)
工芸品
有史以前の城跡「石家河古城」に水利システムを初めて確認 中国湖北省
中国中部に位置する湖北省天門市(Tianmen)の石家河遺跡は1954年に発見され、長江中流地域において最大の面積を有し、最も完全に保存されている新石器時代の集落遺跡として、5千年の歴史を持つ中華文明史の重要な実証となっています。そして1992年、この地で有史以前の大規模な城跡である石家河古城が発見されました。当時の調査で明らかになった面積は120万平方メートルでした。その後30年間、この古城に関する研究は絶え間なく続けられてきました。
考古学的に見て、石家河古城は、規模の広大さ、整った配置、70~100メートルもの厚みのある土を打ち固めた城壁など極めて堅牢なものです。考古学者はこの他に水利システムも発見し、内城の河川、水門、水をせき止めるせき、小型のダムなどの水利施設を初めて確認しました。また、城内の南西部にある水系付近では、稲田の遺構のほか、陶器、石器、稲などの重要な遺物も発掘されました。その中には数万点にのぼる石家河文化の陶製の像もあり、人のほかニワトリ、イヌ、ヒツジ、ブタ、ゾウ、サル、バク、カメなど10種類以上の小動物を網羅し、その多くは手ごねで作られていたことがわかりました。
このほか、同遺跡からは3回にわたって合計400点を超える玉器が出土しています。その多くは小型の装飾品で、玉製の人物像や竜、鳳凰、トラ、セミ、タカといった動物をかたどったもので、その複雑で精緻な彫刻は当時の玉器製作技術の高さを示しています。そのうちの一部の人物像の目と耳が誇張された頭部は、長江上流の三星堆遺跡から出土した青銅人像の顔の特徴と非常に似通っているということです。(c)CGTN
>>1
ようアメリカ人
今日も中国人や韓国人のフリして対立煽ってるのかい?
>>1
このダムは韓国から招いた韓国人の技術者が設計、施工したものと言われている
韓国は小国ではあったが、学問の研究が盛んで、こういった土木構造物の建設技術の実践的、先進的な研究が行われていた
中国の王族が韓国人の高い技術を建設に生かすため、韓国に多額の報奨金を支払っていたことも知られている
>>86
アホテヨン晒しとく
>>1
その頃の中国人と今の中国人って何の関係があるの?
民族的な連続性はないよ?いったい何を誇ってるの?w
残念ながら今の中国と別の国なんだよね
その頃の民族は今はどちらに?
なんか、1つやけに現代的な写真があるな
こういう素晴らしい文化をその都度ぶっこわしてきたんだろ?
鬼界カルデラの大噴火でほとんど死に絶えていましたが正解だろ
その日本にあっちゅーまに抜かされて戦争でも負けた国があるんですよぉ~
ちなみにジャップランドにも皇紀2600年とか法螺吹いて崇められてるカルトの親玉がいるよね
>>117
日本を引き合いに出さなくても、今現在吸金瓶皇帝がおわすじゃないか。
>>117
神話を入れるとそうなる
西暦500年まで日本についてかかれた文字すら無いしな
>>123
韓国では、卑弥呼を日本に派遣したという文書が残っている
中国はずっと中国だろ政権が違うと民族が異なるって
ロジックは誰がもってきたんだ
>>153
商業右翼のバカ
>>153
三星堆遺跡の時代の蜀は民族が違うぞ
まあ、今でも中国国内にいるけどな
紀元前4000年は氷河期が終わって海水面が100メートルくらい髙かった頃だろ。
その頃の世界地図が知りたいが無い
東京が海の底w しか出てこない
言っておくが、この頃の中華文明を築いていた民族と今の中国人はまったくの別物だぞ
>>269
当時は韓国人の祖先が中国文明を牽引していた
なんか、中学の頃は学年1位だったのを自慢してる奴みたいだな
評価されるのは現在の成績なのに
数百、数千年に一度現れるような天才が作り出した発明を次の世代に繋いで人類は発展してきたんだし悔しがることはないだろ
貝ウマー🦪
魚ウマー🐟
世界四大文明とか言ってた頃は、黄河文明が今の中国全土に広まったものという認識だったけど、発掘調査が進むにつれ長江文明も独自に進化していたという認識に変わったからな。
それぞれの古い年代の遺跡が発掘されていて、発掘物の様式が異なる。
交流は僅かにあって相互に影響を与えている部分もあるけど、それぞれ進化していたと見た方が良い。
殷が滅亡して周の勢力が拡大した時、長江流域の異民族は吸収されたり、追いやられたりした。
追いやられた民族の一つが弥生人だろうってところ。