法政大学時代の江川の活躍は、NHK「ファミリーヒストリー」ではほとんど報じていなかったが、素晴らしかったと記憶している。

NHKの大学野球の中継で何度か見たが、江川はゆったりとしたフォームから素晴らしい球を投げていた。また打撃も傑出していた。
法政大学出身の松永怜一が、江川の打席での姿を絶賛していたことを覚えている。

江川は高校卒業時に阪急にドラフト指名されるが、これを蹴った。大学卒業時にはクラウンが指名権を獲得した。

江川の家系は西日本にはまったく縁故がない。当時のパ・リーグは今の独立リーグとさして変わらない客の入りで、セ・リーグ、巨人とは天地ほどの差があった。
私などは、阪急に入ればいいのにと思ったが、江川には考えられないことだっただろう。

もし阪急に入っていれば、1975年ドラフトで阪急に入った山口高志とともに「剛腕エースの競演」となったはずだ。

江川は1年、米国で浪人生活を送り、ドラフトの2日前に帰国。例の「空白の1日」で巨人入りをするのだ。
昨日の放送では「江川は何も事情を聞かされていなかった」と言った。これは本当なのだろうか?少なくとも父は「巨人の陰謀」に加担していたと思う。

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江川が帰国した日の夕刊に「西武ライオンズが前年ドラフトで示した選手の交渉を断念した」というベタ記事が載っている。巨人はクラウンライターから西武への身売りを承認する代わりに、西武が江川の交渉権を放棄したことを表明するように迫ったのだ。
ライオンズ側は、この時点で巨人が何らかのたくらみをしていたことを察知していたのではないか。

「空白の1日」の発表は大衝撃を与え、世間は大騒ぎとなった。
メディアはこぞって巨人を非難し、讀賣新聞だけが擁護する論陣を張った。

金子鋭コミッショナーは即時に巨人の「空白の1日」を認めない発表をした。巨人はドラフト会議をボイコットする。江川は阪神に指名された。私は快哉を叫んだが、翌年春季キャンプの前日になってコミッショナーは「金子裁定」を下し、江川の巨人へのトレードを承認する。
江川も言っているように、当初は「金銭トレード」だったが、阪神側の強い意向があって「交換トレード」になった。

2月1日、羽田空港からキャンプ地宮崎へ向かおうとしていた小林繁を讀賣新聞側が呼び止め、トレードを通告した。ここからまた「江川の悲劇」が始まる。

羽田空港で小林にトレードを通告したのは当時、読売新聞編集局長だった渡邉恒雄だとされる。一連の「江川事件」にもナベツネは関与したといわれている。ただドナルド・トランプと同様「何でも自分の手柄にしたがる」ナベツネだけに信ぴょう性は低い。
少なくともナベツネは、まだ野球の走者が一塁に向けて走るか、三塁なのか、知らなかったはずだ。


中日・ナゴヤ球場・ナゴヤドーム・シーズン最多本塁打打者/1950~1988、2007~2019

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