最近、羽鳥慎一モーニングショーが面白くない。たまたま今いる宮﨑はテレ朝系が視聴できないこともあって「ラヴィット」一択だ。この番組は、侮りがたい。

オープニングがやたら長い。その間に1組芸人が出てきて芸をするのだが、いずれもが極めて先鋭的で、時に過激、時に巧緻を極め、時に意表をついている。「笑いの次なる可能性」を求めて胎動が起こっていると言う気さえする。MCの麒麟川島明がすごいのも間違いないが、出てくる芸人がとんがっている。

「面白い」と言う価値観は、激しく動いている。おそらくはM-1によって、この世界のランキングが明確になり、どんなキャリアの人間でも一芸があれば参入できるようになったのが大きい。コンペティターが増えたことで、どんどんレベルが上がるとともに「笑いの幅」も広がっていく。
また見る側の“耐性”も強化され、「こんなのが面白いんだ」「こんな笑いもあるんだ」というのが、どんどん広がっていった。
M-1は、一時期、吉本興業が仕切りそうな感じがあった。吉本が、他の芸能事務所をライバル視しなくなったことで、門戸が広がった。これも大きかったと思う。今や5000組を越すコンビが挑戦する。

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ただ、すそ野が広がると言うことは、頂点が高まるとともに、底辺も低くなると言うことだ。
プロアマの区別もなくだれでも参加できるので、とんでもなく面白くない芸人、自称芸人もM‐1に参加するようになったのだ。

私の周りにも何人かいる。SNSで自分の芸を披露する人もいる。中には「芽があるのではないか」「もうちょっとじゃないか」と感じるコンビもいるが「これはあかんやろ」と思うコンビもいるのだ。
自分たちは面白いつもりで、嬉々として演じているが、笑いのツボがほとんどない。そこらのあんちゃんが、じゃれ合っているような感じだ。

M-1の影響とは断言できないが、今、そこらでふざけ合っている若者たちの乗りも、M-1の最低レベルの出演者と似たような中身になっている。
その乗りで「回転寿司テロ」や「コンビニテロ」が行われているのではないか。馬鹿をやるあんちゃんは、仲間内の受けるための「ネタ」のつもりでああいうことをしているのではないか、と思う。

そういう低レベルのあんちゃん、ねえちゃんに出くわしたら「なんでそんな迷惑なことするんだ」と咎めるよりも「君のやっていることは、面白くもなんともないんだよ」と優しくいってあげるべきではないかと思う。受けると思ってやっている若者には、そっちの方が応えるのではないかと思うのだ。

もちろん私のようなおじではなくて、若者世代にお願いしたいのだが。



NOWAR


1960~62年柿本実、全登板成績

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